中島知久平「戦艦8隻より戦闘機8万機」

中島知久平 金言10月名言
中島知久平 金言
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中島知久平

中島知久平の金言

貧乏国日本が列強並みに建艦競争をつづけるのは、国費のムダづかい。そんなことをしていてはやがて行き詰る。能率的軍備に発想を切り替え、二艦隊(軍艦八隻)をつくる費用で、八万機の航空機を作るべし。

中島知久平とは?

中島 知久平(なかじま ちくへい) 1884年1月1日~1949年10月29日
群馬県新田郡尾島村(現太田市)に生まれる。中島飛行機(のちに富士産業、富士重工業を経て、現在のSUBARU)の創始者として知られ、政治家に転じてからは大臣や政友会総裁を務めた。

金言に至るまでの過程

海軍機関学校を経て、海軍機関少尉に任官。 1916年(大正5年)中島機関大尉と馬越喜七中尉が、欧米で学んだ新知識を傾けて、複葉の水上機を設計した。これが横須賀海軍工廠の長浦造兵部で完成され、横廠式と名づけられた。中島は、航空の将来に着眼し、航空機は国産すべきこと、それは民間製作でなければ不可能という結論を得た。
大正6年(1917年)5月、群馬県尾島町に「飛行機研究所」創設。同年12月1日、海軍を退官(予備役編入)。中島はこのとき「退職の辞」として、①戦術上からも経済上からも大艦巨砲主義を一擲して新航空軍備に転換すべきこと、②設計製作は国産航空機たるべきこと、③民営生産航空機たるべきことの三点を強調した

スピーチの場でこの金言を引用するなら

● 固定観念にとらわれない考え方の一例として
● 革新、イノベーションの一例として
● ブルーオーシャン戦略の一例として