願はくば内海外海の八部の龍神、我忠義を御覧あつて、海潮を遠くへ退け、我軍の為に道を開かせ給へ

新田義貞人名【に】で始まる

 日本開闢の主、伊勢の天照太神はもと大日如来で、龍神に身をかへてお現れになつたと伝へ聞いてゐる。其御子孫たる我君後醍醐天皇は、久しく不忠の臣の為めに西国の浪に漂はされてゐらせられる。義貞は今臣道をつくす為めに、武器を取つて敵地へ押し寄せましたが、志す所は唯だ天皇の御徳化をお助け申し、人民に安泰の生活を送らしめようとする事のみである。願はくば内海外海の八部の龍神、我忠義を御覧あつて、海潮を遠くへ退け、我軍の為に道を開かせ給へ。

鎌倉幕府を滅亡させた 新田義貞 1333年5月21日
太平記 巻第十 稲村崎干潟となる事

 連戦連勝で大軍にまで膨れ上がった新田義貞軍。鎌倉を目前に、先方隊が敗れた知らせを受け新田義貞は片瀬腰越まで偵察に出た。月あかりを頼りに敵陣を見てみると、海に張り出した崖を削った狭隘な切通に鉄壁な布陣を引いた鎌倉幕府軍。しかも稲村ケ崎沖には小舟がひしめき、今にも陸側に向かって撃ちかけようとしている。これではせっかくの大軍の利を生かせない。
 そこで新田義貞は竜神に祈祷し、腰に携えていた黄金の刀を捧げた所、稲村ケ崎の潮が引き砂浜を大軍が通れるようになり、この機に一気に鎌倉に攻め込んだという。

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