吉田松陰「死して不朽の見込みあらばいつでも死ぬべし。~」

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死して不朽の見込みあらばいつでも死ぬべし。生きて大業の見込みあらばいつでも生くべし

ec_吉田松陰
吉田松陰 ~幕末の思想家~

自分が死ぬことで千載一遇の可能性ができるならいつでも死んだほうが良い。
自分が生きることで大きな仕事が成せる可能性があれば、生きなければならない。

前半部分をそのまま読んでしまうと、少々物騒で過激な内容です。歴史には二面性があります。倒幕派の志士たちにとっては、今の保守的な考えの幕府のままでは、ますます西欧列強に置いて行かれてしまう。一方で幕府側から見れば松陰ら倒幕思想は現体制を脅かすテロリスト。時代背景を考えると血なまぐさい言葉であることは否めません。
しかし後半部分は逆に「生きのびよ」とも言っています。当時はまだ武士の時代。生き残る事の負い目に対して、死に急ぐ事のないよう戒めた言葉ではないかとも思います。「大きな目的の前に命を粗末にするな」という事も同じぐらい重要。と言っているのかもしれません。いずれにせよ当時の発言としては「自分や仲間の屍(しかばね)を越えてでも倒幕を実現せよ!」という目的の為なら命を惜しむな!という強い言葉だったことは間違いありません。

現代のビジネス、スポーツの場で使うなら

現代の平和な時代では、あるていど意訳して使ってしまっていいワードかなとも思います。例えば野球の「送りバント」。一死(ワンナウト)と引き換えに確実にランナーを進塁させて得点圏にランナーを進める作戦ですが、「死して不朽(得点)の見込みあらば~」とか置き換えればスポーツでの用例として日常的に使っても良さそうです。あるいはチェスやシャンチー(中国将棋)などは味方の駒を犠牲にしながら相手の王を詰ます「死して不朽の~」を地で行くゲーム。必ずしも「死=人間の命の終了」という概念に捉われず、「チーム(味方)を勝利に導くのために自己が出来ること」とは何か?の問いかけとして使ってみてはどうでしょうか?

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